時事コラム(2020/04/14)

星野源と安倍首相の動画について
星野源と安倍首相のコラボ動画がネット界で話題となっています。

これは、もともと星野源が、家でじっとしてたらこんな曲ができたとインスタで紹介し、「誰か、この動画に楽器の伴奏やコーラスやダンスを重ねてくれないかな?」と呼びかけたことから、いろんなタレントやアーティストが賛同し、輪が広がっていきました。

雰囲気が変わったのが、安倍首相がコラボ動画を上げたことです。その内容がソファにくつろいで犬と戯れている様子の動画だったこともあり、「座って愛犬抱いてお茶飲んでいるだけで全然コラボしていない」とか「庶民は自粛しろと言われても生活のためにのんびりと家になんかいてられない。上から目線」とか「優雅にくつろぐのは市民感情にそぐわない」、「首相は仕事する姿をアピールしろ」等と批判が相次ぎました。

私はこういう批判については、いつも以下の観点で考えるようにしています。
1)自分がその立場だったらどうするか
2)それは誰でも同じ反応か
3)自分がそれをやられた時にどう思うか
4)それが幸せになることか

まずは1ですが、自分が首相だったらという意味ですね。この批判にこたえるとするならば、首相たるもの、国民のために働け。優雅にくつろぐ姿なんか見せるな、不愉快だ。といったところでしょうか。仮にそうだとして、じゃあ、あなた首相になりたいですか? なりたくないですよね。 事あることに文句を言われ、尊敬もされず批判ばかりで、家でくつろぐことも許されない。そんなだったら誰も首相になんかなりたくはありません。

でも、そういう雰囲気ありますよね。仮に安倍首相を気に入らないとしても、そもそも首相になりたいと思うような土壌がなければ、良い人材なんか出てくるわけないと思います。

次に2ですが、たとえばこれが首相でなく福山雅治だったらこんな批判しますか。たぶんしないですよね。人によって態度が変わるようなことは批判すべきではないと思います。

そして3です。私が星野源だったらという立場ですね。もちろん、アーティストじゃないし、星野源じゃないので、彼の本心はわかりません。しかし星野源としては、家にいたらこんな曲ができたので、みんなも一緒に楽しんでくれたらいいな。そんな純真な心でしかなかったと思います。 しかしながら、これが大騒動になり星野源本人から釈明のコメントを出させる羽目にまで発展させることは果たして良かったことなのでしょうか。

善意から始めたことをまわりが勝手に曲解し、星野源に迷惑をかけただけだと思います。 音楽は音を楽しむから音楽なのです。そこには政治も年齢も職業も国籍も関係ありません。ダンスを踊るもよし、くつろいでリラックスして聞くもよしです。こんな批判して音楽を不愉快にさせることはアーティストを冒涜しているといえます。 それよりも、残念なのは大多数の批判とこの騒動についての報道です。別に嫌だと思えば見なければよいし、わざわざ批判するようなものではないでしょう。自分の心にしまっておけばよいだけではないでしょうか。

日本ではこういう問題が起こってます。国会で追及しようと思いますなんて、海外に恥をさらしているだけではないでしょうか。 こんな批判する事で、貴重な時間を費やし、海外に恥をさらし、人々を不快にさせ、星野源に悲しみを味わわせました。もう彼はこういう取り組みをやらないかもしれませんし、他のアーティストも批判を恐れ、萎縮するかもしれません。誰も幸せになってません。 どうせ批判をするのならもっと建設的な改善につながる批判をしましょう。皆さんも何かの批判をするときは、一回立ち止まって考えるようにして欲しいと思います。



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